ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ

27歳独身で難病と診断されました。そして退職。アラサー目前にこれからどう生きていくのか、、難病と診断されてからのあれこれや、もらえるお金のことなどをまとめていきたいと思います。

私が難病と診断されるまで⑧

こんばんは。
お家時間いかがお過ごしでしょうか。
最近家飯にも飽きてきて毎日献立考えるのが苦痛です。


もう色々とね、自粛に関しても言いたいことが山ほどあるんだ。

 

でも診断の巻を早く書き終えたいので、

私が難病と診断されるまで⑦ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ

のつづきです。

 


退院後は2週間で再診でした。


ちなみに仕事は退院後1週間はお休みをもらい、その後時短で少しずつ身体をを慣らしていくことになりました。


ありがたいですよね、本当にありがたいけど何が困るって

収入がない


もともと少ししか残っていなかった有給は入院期間の前半ですでに消化済み。


これも後々お話するんですが本来、社会保険に加入している会社員は4日以上の病欠の場合には傷病手当というものが支給されるんですよね。(給料の2/3が支給)

 

これは自営業などの国民健康保険では支給されません。

ではなぜクリニック勤めの私が支給されないのかというと、個人経営の小規模のクリニックでは多くが医師国民健康保険に加入しているから!!

 

 

今までわりと大きな病院に勤めてきたので、当たり前に社会保険に加入していて当たり前に手当てを受けてきたのでそんな仕組みや違い知らなかったんですよね。

 

医師国民健康保険の場合は都道府県ごとに規定があるので、保障もまちまちなのですが、

東京都医師国民健康保険には傷病手当が存在しません。

 

なので、当然、有給が終わったら収入はゼロです。

 

それでも当時は少し蓄えがあったのと、元気になることが優先だったのでお休みや時短を優先しました。 

 

 

 

少し脱線しましたが、2週間後の再診。

2週間の入院生活(その半分以上は寝たきり)を終えて体力や筋力はかなり衰えていまして、しばらくは自宅の階段を登るだけで疲れていました。

 

ここでい遺伝子検査の結果と骨髄検査の結果を聞くのですが

結果としてどちらも異常なし。

遺伝子検査に関してはHLA−B51ではありませんでした。

 

 

ということは、、??と思ったのですが

膠原病内科の主治医からは、今までの症状と経過からベーチェット病と診断していいだろう、とのことでした。

 

また、発症の経過からして重症といえるので、難病の申請をした方がいいとすすめてくれました。

 

 

忘れもしない6月13日。

この日は母親の誕生日でした。

 

 

診断がつかないままの退院だったので家族もさぞもやもやしていたことでしょう。

それでも、母親の誕生日に難病の診断を受けたことを報告するのはとても心苦しかったのを覚えています。

 

子どもの頃から入院ばかりであまり健康な子どもではなく、いつも私の体調を心配していた母。

ネットでも色々と検索していたようですが、きっと健康に産んであげられなかったことを悔やんでいるんだろうな、と思うととても申し訳ない気持ちになります。。

 

 

できる限り、両親に心配をかけずに生きていきたいなあと思っています。

最近は結婚しないことが心配の種のようだけどそこは許して、、笑

 

 

 

ということで晴れて(?)難病の診断を受けた私。

ショックじゃなかったわけではないけど、今までの体調不良の原因が分かったことで少しスッキリした気はします。

 

いままでは自分が甘いのかとか、怠けているのかとか、体調が悪くなるたびに罪悪感を感じていたので、病気のせいだから仕方ないんだ!と開き直ることができたのかな。

 

 

 

そしてこの頃、病気アカウントのTwitterを始めました。

私にとってはこれが大正解だったと思っています。

今もTwitterだいすきです。笑

 

少ないベーチェット病の患者もTwitterで探せばたくさんいるし、同じような悩みを共有できたりアドバイスをもらえたり、友達には到底晒せないような闇モードを晒したり、とにかく自分を受け入れてもらえる場ができたのは、メンタルケアにも大きかったなあ。

 

患者同士で患者をサポートするピアサポの存在もこの時知りました。

使い方は色々だけど、コミュニティを作るのは良いことだと思います。

 

 

 

長くなりましたがここまでで診断されるまでのお話を終わりにします。

 

この後は

・難病助成の申請について

・難病もちの転職について

・もらえるお金について

 

などまとめていけたらいいなあと思ってます。