私が難病と診断されるまで④
こんにちは。関東近辺が外出自粛となりまた食料買い占めパニックが起きていますね。
物流は止まらないから安心して、買い占めはやめましょうという一言知事の方たちには添えて欲しかったなあ、、。
配送配達業社をはじめ物流に関与してくださる方々に感謝です。
前回の
私が難病と診断されるまで③ - yujugem1222のブログ
つづき。
クリニックに勤めて3年が経ち、すっかり職場がホームになった頃です。
頻回に体調を崩す私をみて、職場のスタッフは「年取るごとに免疫つくよ〜まだ若いってことだね」なんて笑い話しにしてくれていました。
当時勤めていたクリニックはなかなかの忙しさで、昼休憩を除きほぼ1日中立ちっぱなしの仕事。休憩時間が2時間ほどあったのですが、帰れないのでいつも中で昼寝してました。
それでも、家が遠いこともあり朝7時に家を出て21時前に家に着く生活。あまりの忙しさで他のスタッフと辞める計画を立てていたところでした。
大型連休となったGWを終え、仕事が始まった矢先のことです。
連休後1日働いてまた2日休み、というゆるーい勤務が明けまた忙しい日々が始まる時でした。
前日に知り合いの整体師さんに身体をほぐしてもらい調子はばっちり!のはずだった。
朝起きるとなんだか身体がだるい。
(連休明けに嘘だろ、仕事への拒否反応???)
そう思った私。
自堕落な休みを過ごしていたせいで身体が慣れないことや寝不足なことはよくあるので動けばなんとかなるだろうと思い、痛み止めを飲んで家を出発。
いつもどおりの満員電車に乗り込みました。
2駅ほど乗ったところでのしかかるような身体のだるさと吐き気、冷や汗がとまらなくなり立っていられなくなったため途中下車。
生理中(もう終わりかけだった)なのが原因かと思い、とりあえずベンチで休憩し職場に連絡をいれ欠勤することにしました。
自宅に帰って寝るとだいぶ気分が回復したためやっぱり寝不足のせいか、、さぼってしまったな、、なんて罪悪感にかられながら死んだように眠りました。
翌日は通常どおり出勤。
体のだるさはありましたがそこまでひどくもなく、普通に働くことができる程度でした。でもなんだか鼠蹊のリンパが腫れて痛い気がする。
仕事を終えてすぐに就寝、翌朝4時ごろ目が覚める。熱があるなーと思い測ると37.8。
あーまたきてるな、と思いながら解熱剤を内服。
この日はスタッフが少ない日だったこともあり短時間で解熱剤を内服しなんとか出勤。
午前中頭がボヤッとする中なんとか仕事をこなしましたが解熱剤を飲んでも熱は上がっていく一方で、他のスタッフに伝えてし早退させてもらいました。
勤務先の医師から壊死性リンパ節炎なら点滴する?と聞かれましたが、一刻も早く帰宅しないとやばい(電車に乗って帰れなくなる)と思いすぐさま帰宅。
昼過ぎに帰宅しすぐに布団に入るが、
夕方からガタガタ震える寒気で熱はどんどん上昇に39℃を超える
同時に激しい頭痛で頭が割れそう。
手持ちのイブを飲んでも3時間くらいするとまた激しい寒気と震えとともに熱が上がり始める。それに加えて吐き気もひどくなり立ち上がれな状態に。
さすがにまずいと思い同居している彼氏に早く帰ってきて欲しいと連絡。
彼氏が帰宅し救急車を呼び近くの総合病院へ。
人生3回目の救急車
救急隊のお姉さんが優しかったなあ。
到着した救急車外来は救急のはずなのにのほほんとした雰囲気で
やる気のなさそうな医者が対応。
受け答えができるのをみて採血だけして補液をいれる。
頭痛と嘔吐訴えてるのにCTも撮らないんかーいと思いながらもしんどくてそれどこじゃない私。
その時の採血は
WBC3000台 CRP4.0
「んーなんらかの細菌感染かなあ」と。
いやいやいやいや
このヤブ医者め!!細菌感染でこのWBCはおかしいでしょ!!
(一般的に細菌感染ならばWBCも高値になる。WBCが最初に上がり、CRPは後追いで上昇してくることが多い)
そう思いながらも反論できず
「とりあえず心配だったら入院してもいいけど、帰って大丈夫。
もし治らなかったら近くの病院かかって」
といわれ、この医者に診てもらうのも嫌だったので帰宅。
飲み薬で熱が下がらないことを伝えると座薬が処方されました。
帰りに検査データをもらえますか?というとそれは無理です、と。
なんだそりゃ。
もう二度とかからないことを心に決めました。
そしてここからいわゆるたらい回しに合うのです。
地獄のような数日間だった。。
私が難病と診断されるまで⑤ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ
につづく。