私が難病と診断されるまで④
こんにちは。関東近辺が外出自粛となりまた食料買い占めパニックが起きていますね。
物流は止まらないから安心して、買い占めはやめましょうという一言知事の方たちには添えて欲しかったなあ、、。
配送配達業社をはじめ物流に関与してくださる方々に感謝です。
前回の
私が難病と診断されるまで③ - yujugem1222のブログ
つづき。
クリニックに勤めて3年が経ち、すっかり職場がホームになった頃です。
頻回に体調を崩す私をみて、職場のスタッフは「年取るごとに免疫つくよ〜まだ若いってことだね」なんて笑い話しにしてくれていました。
当時勤めていたクリニックはなかなかの忙しさで、昼休憩を除きほぼ1日中立ちっぱなしの仕事。休憩時間が2時間ほどあったのですが、帰れないのでいつも中で昼寝してました。
それでも、家が遠いこともあり朝7時に家を出て21時前に家に着く生活。あまりの忙しさで他のスタッフと辞める計画を立てていたところでした。
大型連休となったGWを終え、仕事が始まった矢先のことです。
連休後1日働いてまた2日休み、というゆるーい勤務が明けまた忙しい日々が始まる時でした。
前日に知り合いの整体師さんに身体をほぐしてもらい調子はばっちり!のはずだった。
朝起きるとなんだか身体がだるい。
(連休明けに嘘だろ、仕事への拒否反応???)
そう思った私。
自堕落な休みを過ごしていたせいで身体が慣れないことや寝不足なことはよくあるので動けばなんとかなるだろうと思い、痛み止めを飲んで家を出発。
いつもどおりの満員電車に乗り込みました。
2駅ほど乗ったところでのしかかるような身体のだるさと吐き気、冷や汗がとまらなくなり立っていられなくなったため途中下車。
生理中(もう終わりかけだった)なのが原因かと思い、とりあえずベンチで休憩し職場に連絡をいれ欠勤することにしました。
自宅に帰って寝るとだいぶ気分が回復したためやっぱり寝不足のせいか、、さぼってしまったな、、なんて罪悪感にかられながら死んだように眠りました。
翌日は通常どおり出勤。
体のだるさはありましたがそこまでひどくもなく、普通に働くことができる程度でした。でもなんだか鼠蹊のリンパが腫れて痛い気がする。
仕事を終えてすぐに就寝、翌朝4時ごろ目が覚める。熱があるなーと思い測ると37.8。
あーまたきてるな、と思いながら解熱剤を内服。
この日はスタッフが少ない日だったこともあり短時間で解熱剤を内服しなんとか出勤。
午前中頭がボヤッとする中なんとか仕事をこなしましたが解熱剤を飲んでも熱は上がっていく一方で、他のスタッフに伝えてし早退させてもらいました。
勤務先の医師から壊死性リンパ節炎なら点滴する?と聞かれましたが、一刻も早く帰宅しないとやばい(電車に乗って帰れなくなる)と思いすぐさま帰宅。
昼過ぎに帰宅しすぐに布団に入るが、
夕方からガタガタ震える寒気で熱はどんどん上昇に39℃を超える
同時に激しい頭痛で頭が割れそう。
手持ちのイブを飲んでも3時間くらいするとまた激しい寒気と震えとともに熱が上がり始める。それに加えて吐き気もひどくなり立ち上がれな状態に。
さすがにまずいと思い同居している彼氏に早く帰ってきて欲しいと連絡。
彼氏が帰宅し救急車を呼び近くの総合病院へ。
人生3回目の救急車
救急隊のお姉さんが優しかったなあ。
到着した救急車外来は救急のはずなのにのほほんとした雰囲気で
やる気のなさそうな医者が対応。
受け答えができるのをみて採血だけして補液をいれる。
頭痛と嘔吐訴えてるのにCTも撮らないんかーいと思いながらもしんどくてそれどこじゃない私。
その時の採血は
WBC3000台 CRP4.0
「んーなんらかの細菌感染かなあ」と。
いやいやいやいや
このヤブ医者め!!細菌感染でこのWBCはおかしいでしょ!!
(一般的に細菌感染ならばWBCも高値になる。WBCが最初に上がり、CRPは後追いで上昇してくることが多い)
そう思いながらも反論できず
「とりあえず心配だったら入院してもいいけど、帰って大丈夫。
もし治らなかったら近くの病院かかって」
といわれ、この医者に診てもらうのも嫌だったので帰宅。
飲み薬で熱が下がらないことを伝えると座薬が処方されました。
帰りに検査データをもらえますか?というとそれは無理です、と。
なんだそりゃ。
もう二度とかからないことを心に決めました。
そしてここからいわゆるたらい回しに合うのです。
地獄のような数日間だった。。
私が難病と診断されるまで⑤ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ
につづく。
難病とトンデモ療法
こんにちは。ついにオリンピック延期が決定となりましたね。
それだけ世界的に事態が深刻化してるというこ。
なのにのほほんとする日本人。なぜなのか。
今日は難病と診断されるまでは少しお休みして、あちこち飛び変わっているトンデモ療法についてです。
病気があるところ、弱っているところに彼らはやってきます。
コロナウイルスに関しても
アロマオイルを飲ませてみたり、コロナに効くというハーブエキスを含んだ液体を出してみたり、、様々な商品が売り出されていますね。
本当に有効ならみんな使ってるんだよ、気づいて。
今日お話しするのはMLMで有名なA社についてです。
私の周りにはA社の販売員をやっている知り合いがそれはもうたくさんいます。
なぜなら私の彼がA社のビジネスをしているから。
(あまりゴリゴリな感じではないですが、考え方はゴリゴリ)
そして、私自身も販売員ではないもののA社のプロテインを飲んでおり、自宅には空気清浄機と浄水器があります。(これは彼が購入したもの)
もともとMLM、特にA社に対して良いイメージはなく、彼氏がA社の製品を買い出した時はかなりどん引きしましたが、色々話を見聞きしている間にまあある程度慣れというか懐柔されたというか、今ではそこまで嫌悪しているわけではありません
彼らが大々的に謳っている
「きれいな水、空気、十分な栄養が健康にいい」
という話しは何も間違ってはいなくて、かのナイチンゲールも同様のことを言っているくらいなので、その点は別に良いんじゃないかな、と思っています。
また、マルチ商法というビジネスモデルに関しても、別に悪いものだとは思っていません。
まあ好きで製品まみれになっている人たちはいいと思うんです。
A社で高いランクにいる人たちはたしかに健康意識が高く、製品を愛用しています。
まあお金に余裕があって必要性を感じていれば使えばいいし、質が値段に見合っているかどうかは別として、悪いものではないので買いたいと思うものなら買ったらいいと思うんですね。
お金がない人はローン地獄になるから絶対やめたほうがいいと思うけど
ただ自分が良いと思うものを他人にゴリ押しするのは別
本当に何が嫌ってこれ。
そして、自分たちの製品が絶対と信じて疑わず他のものを貶すところ。
ミーティングにくと栄養士や整体師がさも医療者かのように病気と栄養のことを熱く語っています。
サプリメントで癌が治った、アレルギーが治った。
これ薬事法に違反するので録音しないでくださいね〜って言いながら。
こういう人たちは詳しい知識もないのにさも自分が正しいかのように、サプリを処方してきます。笑
それでもまだ、有資格ならいいんです。なにが厄介ってそれをミーティングや講演で聞いた一般人がさも知ったように聞いただけの知識をひけらかすこと。
そういう人たちに会う機会が多かったので、話し自体は面白く聞いて、あとはスルーするスキルをある程度身につけていたのですが先日、たまたま会ったA社販売員とのやりとりで久々にいらっとした話し。
わたしは薬の副作用で慢性的に下痢をするのですが、時々それがひどくほぼ胃腸炎状態で水のような下痢がつづくことがあります。
そういう時は予定によっては出先での食事を控えたりするのですが、そんな中友人の紹介でA社の会員と会う機会がありました。(というか会ってしまった)
お店に入っても飲み食いを避けていたので、なんで食べないの?と聞かれお腹の調子が悪いので食べないようにしていることを伝えると腸内環境が悪いから乳酸菌をとった方がいいと。
めんどくさいなあと思いつつもそのまま製品の紹介を続けられるのも嫌なので、薬の副作用だから、どうしようもないんだよね〜と話すと、どんな薬なのかさらに食いついてくる。
副作用が強く出る薬で調整しながら飲んでいることを説明すると、
「そんな危ない薬やめたほうがいいよ〜」と。
はい???
なんだ、それじゃあ薬を飲まなくてもいいよう私の病気を治療してくれるのか。
薬を飲まないで症状が悪化した責任をとってくれるのか。
詳しく病気のことについて話すのも嫌なので、免疫の病気であることを伝えたのが間違いで、自分の免疫力を上げるには〜と話しが始まる。
そもそも免疫力あがっちゃ困るんだわ。
こっちは薬で免疫力抑えてるんだわ。
こういう人が多数いるってわかっちゃいるんだけど、直接自分に向けられるとやはりかなりいらっとするもので。
その場では、まあでも飲まないわけにいかないからね〜と濁して話しをそらせてきた。
よかれと思って言ってるのかもしれないしきっと本人はいいことをしてあげてるつもりでいるんだと思う。そうやって商品を勧めて買ってもうのが仕事だからね。
でも善意の押し売りはもはや悪でしかない。
彼らが大好きな言葉「予防医学」
頼むから売り込む相手を間違えないでほしい。
こちとら原因不明の病気と一生付き合わなきゃならんのに。
私の生活が悪かったから病気になったのか?
あれをしたから、これをしなかったから、、病気を抱える人なら多くの人が考えることだと思う。
そしてその親も、自分の子供を健康に産んであげられなかったのは自分のせいかもしれないと自責の念にかられている。
もちろん予防できる病気もあるよね、コロナとかインフルエンザみたいに。
だからこそ売り込む相手、言葉に気をつけて欲しい。
他人の健康につっこんでいくのって結構シビアなんだぞ。
若くて元気だから病気を抱えていないって思い込んではいけない。
元気なふりをして病気と闘っている人たちは思っているより多くいるよ。
もっとも、それも自分が病気になるまではあまり実感がなかったことかもしれない。
そんな話しでした。
次回はまた私が難病と診断されるまでの続きを書いていきます。
私が難病と診断されるまで③
こんにちは。花粉が飛び交いすぎて鼻詰まりがひどい。
ステロイドで少しは治らないものなのでしょうか。。
今日も
(私が難病と診断されるまで② - yujugem1222のブログ)
の続きです。
さて、壊死性リンパ節炎で入院後、元の元気(だと思ってる)な生活に戻った私ですが、この頃から少しずつ体調に異変が起きてきます。
まず、とにかくよく熱をだす。
もともと年に数回かは風邪をひいて熱をだすことがあったのですが、その頻度がどんどん増えてきました。
シーズンに2、3回は胃腸炎のような嘔吐下痢になったり
インフルエンザの検査も何度もされました。(毎回陰性)
この頃は病弱だから気をつけてねーくらいの感じで周知されており、仕事も1、2ヶ月に1度欠勤する程度。
もともと活発で動き回るのが好きなので、休みの日には予定をぎちぎちに詰め込むタイプでした。
この辺りから体調管理と遊びとのバランスが難しくなってくる頃ですね。
夜勤明けで地元に帰り、友達と飲みに行きオールで遊んだあとそのままプールに行く、なんて無謀なスケジュールをこなしていた20台前半。
夏休みは5日間びっちり遊ぶ予定をいれていました。
今じゃ考えられない。。リア充め。。
遠距離の彼とはお別れし、新しい彼氏ができ、3年間働いた病院を辞めて転職することにしました。
これが一度目の転職です。
この転職は失敗におわり、すぐに二度目の転職活動をすることになりました。
(病院が合わなすぎてストレスで2ヶ月で不眠になり退職した)
そして新しい職場はクリニックになり、新しい看護師生活がはじまりました。
この時は実家からもわりと近い場所に一人暮らしをしていました。
新しい職場では常勤看護師が1人しかいなかったので、基本的に休めません。
夜勤がないので身体は楽かなーなんて思っていましたが、クリニックの看護師もなかなか忙しいのです。
もともとあまり体調に自信のない私は不安もありましたが、それでも楽しく仕事をしていました。
ところが、また奴はやってきいます。
1ヶ月以上続く微熱と倦怠感。
解熱鎮痛剤が切れるとしんどくて動けなくなるので、1日4回薬を飲む生活をしていました。
(市販薬でもずっと続くと肝臓や腎臓に負担がかかるのでおすすめしません)
寝る前に薬を飲んでも効果は6時間もたず、朝方4、5時頃に身体の痛みで目が覚める生活を送っていました。
それ以外は目立った症状もなく、受診したところで解熱剤と抗生物質くらいしか処方されないことがわかっていたので対症療法で過ごすほかありませんでした。
そして2ヶ月ほどたったところでまた激しい寒気に襲われ、発熱。
仕事を休めなかったのでとりあえず職場に行き、インフルエンザの検査をしてもらうことに。
この頃には感覚的にインフルじゃないとわかっているんですけどね。
医師(耳鼻科)に症状を伝え血液検査をするも、CRPの上昇のみでその他は異常なし。
首から肩にかけてのリンパがごりごりして痛いことに気付き、また壊死性リンパ節炎かもしれないと伝えると、医院のベッドでステロイドの点滴をさせてくれました。
3日ほど続けて点滴をしたところで症状は改善。
体の痛みもよくなり解熱剤から解放されました。
ステロイドってすごい 👏
この後も定期的に体のだるさや関節痛は続き、熱がなくても熱があるようなだるさが月に1回、1週間くらいは続くようになりました。
解熱剤が手放せない日々が続きましたが薬さえ飲んでいれば普通に生活できていたのでよほど高熱にならない限りはいつもどおりの生活を続けていました。
一応医療に従するものなので、これが普通の状態だとは思っていませんでしたが、受診したところで大した薬も出ずおわるので半ば諦めていました。
壊死性リンパ節炎も原因がわかっていない病気なので、自分は再発を繰り返すタイプで、歳をとって治るのを待つしかないんだなあと思っていました。
壊死性リンパ節炎はそんなに珍しい病気ではなく、耳鼻科で勤務していると似たような症状(リンパの腫れ、痛み、高熱)を定期的に繰り返す患者さんも多く目にしていました。
あまりにも倦怠感が続くため、症状を調べると全身性エリテマトーデス(SLE)に当てはまることがあったので一度内科で血液検査をしてもらったこともありましたが異常なしと言われました。
転職して1年が経った頃、彼氏と同棲を始めるために、職場から電車で1時間ほどの場所に引っ越すことになった私。
今まで15分ほどだった通勤時間が、1時間超えになり、さらにそのほとんどを通勤ラッシュでもみくちゃにされることになったのでした。当然実家からも離れる距離になります。
それでも当時の私は大好きな彼と一緒に住めることが嬉しくて、通勤くらいなんてことないと思ってしまったんですね。
後にこれが大きな失敗だったとは知らず。。
ちなみに余談ですが満員の通勤電車が与える心理的ストレスは戦場の兵士に値すると言われています。
毎朝戦場です、そりゃあ心も体も疲弊しますよね。
遅延などがあるとさらに地獄で、片道2時間以上かかってへとへとになって職場に到着することも少なくありませんでした。
そんな通勤をする頃には、院長の計らいで常勤看護師が増え、有給も取れるようになっていました。(やっとホワイトに、、)
しかし、体調が悪い中での満員電車に耐えきれず今までのように無理して出勤することができなくなり、電車に乗ったものの途中リタイアすることも増え、私の有給はほとんど病欠に消えていくのでした。
今日はここまで。
この後ついにベーチェットと診断がつくきっかけとなる試練が待ち受けています。
私が難病と診断されるまで④ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ
につづく
私が難病と診断されるまで②
こんにちは。
だいぶ暖かくなったおかげか口内炎もなく身体の調子がいいなーと思っていたらまた冷え込んでいますね。季節の変わり目や気候の変動は体調が崩れやすくなるので注意です。
また1週間がはじまりますね。早く花粉症おわらないかな。
お花見したいけどコロナが怖いのでウォークスルーお花見がいいですね。
前回(私が難病と診断されるまで① - yujugem1222のブログ)
のつづきです。しばらく診断がつくまでのお話になります。
22歳絶賛彼氏募集中で性器ヘルペスの診断を受けた私ですがその後陰部の潰瘍は約1ヶ月半ほどで終息をむかえました。
しばらくは再発に怯えながら生活していましたが、熱やだるさもなくなりあのつらい痛みがあったことも忘れたころ、第二の試練がやってきました。
ヘルペス事件から数ヶ月後めでたく彼氏をゲットした私。
遠距離恋愛だったため、1ヶ月に1回彼と旅行に出かけるのをとても楽しみにしていました。
そんな看護師2年目の冬、2週間後のバレンタインデートを目前に、その日はやってきました。
朝起きると寝違えたような痛みで首が回らない。
整骨院でも行こうかなーとスマホで探しながら鏡をみると、首の右側が鶏卵大に腫れ上がっていました🐔
何事かと思い触れると強い痛み。
風邪をひいた様子はないし、リンパが腫れる原因も見当たらなかったのですが、とりあえずこれはまずいと思い、近くの内科を受診。
その時は熱もなくだるさもなくただ首の腫れと痛みのみ。
その時受診した内科で「壊死性リンパ節炎(菊池病)」の診断がつきました。
この病気は怖いのは名前だけで、命に関わるような病気ではありません。
(若い女性に多く、歳を取るとともに症状がなくなることが多い)
が、のちにしばらくこの病気(のせいだと思っていた)に苦しめられることになるのでした。
そこの先生はとても丁寧に治療に当たってくれました。
最初は痛み止めと抗生物質、プレドニン20mgが処方されました。
壊死性リンパ節炎には治療方法がなく、対症療法で自然治癒を待つしかありません。
ステロイドがリンパ節腫脹に有効だといわれています。
細菌性ではないので抗生物質は効果がないのですが、おそらく別の可能性も考慮して抗生物質が処方されたのだと思います。
2日後に再診し、効果がみられているようなので追加のプレドニンを処方され経過をみて減らしていく予定となっていました。
その時はリンパがぼっこり腫れている他は元気だったのでそのまま夜勤クールに突入する気まんまんだった私ですが、医師から「分かってると思うけど仕事休まなきゃだめだよ、身体休めないと治らないから、プレドニン飲んでる間は休んで」と一蹴されました。
今思うと優しい先生だったな。
夜勤当日に休みくださいなんて言えるわけない、、とびびりながら診断書を持っていく私に、当時の主任はあっさり休んでいいよーと言ってくれました。
(ちなみにこの時は前の師長から代わって新しい師長になっていた)
そこから1週間自宅療養をし、プレドニンが効いたのかリンパの腫れも痛みもかなり引き、予定どおり5mgまで残減することができました。
医師の許可がおり無事仕事にも復帰し、バレンタイン旅行も楽しんだ翌々日の朝。
あれ、寝違えた、、??(デジャヴ)
今度は左側のリンパがぽっこり腫れていました。前回ほどの大きさではありませんが見た目に腫れているのがわかるくらいには腫れています。
慌てて受診しプレドニン再開。かといってさらに仕事を休むわけにもいかず、今度は出勤し勤務先の医師(血液内科)にも相談。
こちらもリンパ節に関してはスペシャリストです。
壊死性リンパ節炎で間違いないと思うが、プレドニンは飲まなくてもいいと思うと言われ、プレドニンは飲まずそのまま仕事を続けることにしました。
この時、もともとかかっていた内科医の言う通りにしていればよかったものを、、。
プレドニンは飲まずに様子をみた翌日の夜中、激しい寒気で目が覚めました。
暖房をつけあらゆるものを羽織っても止まらない寒気。朝方、寒気が治まったころには39℃の発熱。
これはいかんと思い主任に連絡し、欠勤と受診の手配をしてもらい解熱剤が効いたところで勤務先を受診しました。
やっぱりプレドニンは飲んでおこう、と再開になり、自宅療養することになり帰宅。
解熱剤で一旦37℃台に解熱するものの数時間ですぐに寒気とともに発熱を繰り返していました。そしてその晩、激しい頭痛と吐き気嘔吐に見舞われ、一晩で5、6回嘔吐。
1人では家を出るのも困難になっており朝方両親に連絡。
父親が車で寮まで来てくれました。勤務先の救急外来に連絡して再度受診。
嘔吐からの脱水もみられ、そのまま入院となりました。
入院後CTで頭部には異常なく、抗生剤の点滴とプレドニンの内服で経過観察。
嘔吐は落ちつきましたが夜になると激しい頭痛があり痛み止めも効かず。
主治医から腰椎穿刺(背中から腰椎に針を刺し脊髄液を採取する検査で髄膜炎等の鑑別に用いる)をやろうか〜という話が出たあたりで頭痛と発熱は改善し、自然軽快ということで5日で退院することができました。
病棟は違えど勤務先への入院、4人部屋で音は気になるし、職業柄アラーム音に敏感に反応してしまうし、先輩も後輩も上司も突撃してくるしで全然気が休まらず。
カルテで病状は筒抜けだし(個人情報とは)、もう二度と勤務先には入院しないと心に決めたのでした。
この時主治医が気になっていたのは白血球の数値。
通常炎症が起こると白血球の数値が上がるのですが、私の場合入院時の白血球が2000台で通常値すら下回っていました。
プレドニン内服の副作用で白血球が低下することもあるのですが、血液内科医としては血液疾患を疑っていた様子。
退院後も仕事をしながらほぼ毎日主治医のフォローを受けられるので、そのまま仕事へ復帰。
幸い1週間程度で復帰できたのでそこまで体力の衰えもなく、再び元の生活へ戻るのでした。
(私が難病と診断されるまで③ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ)
へつづく
私が難病と診断されるまで①
こんばんは、おひさしぶりです。
難病持ち転職活動をリアルタイムで書いていこうと思っていたのですが、全く進まず、気付けば転職して4ヶ月目となっておりました。
ちゃんとブログ書く習慣をつけよう。
2019年5月に不完全ベーチェット病と診断された私ですが、実は数年前からこの病気について調べていました。
まず『ベーチェット病』という病気について、わかりやすくまとめてくださっている記事を引用させていただきますが、簡単にいえば感染しているわけではないのに体の炎症反応が起こる病気です。
口内炎や陰部潰瘍といった症状が特徴的で、EXILEのマツさんがベーチェットであることを公言されていますね。
(40度の発熱がありながらステージに立っていたんだから本当にプロですね。)
看護師の国家試験の勉強をされた方には見覚えがあるかもしれません、
ベーチェット×口腔アフタ
これよく出題されますね。覚えておいてね。
もちろん看護学生時代にもこの病気の名前は知っていましたが、私がこの病気について調べるようになったのは看護師1年目の冬のことでした。
もともとあまり身体が丈夫なほうではなく、子どもの頃から入院することも多い子どもでしたが、看護学生時代は気合で精勤賞をもらい、就職後も最初の1年はほぼ休まず通勤していました。
夜勤中に寒気を感じ、風邪ひいたかな?という身体のだるさと微熱。
夜勤クールで休むこともできない(病院の闇)ので解熱剤を飲みながら過ごし、夜勤を終え死んだように眠るもだるさがひかない。
37.3℃程度の微熱があるが、のどの痛みもないし咳もでない、お腹も下していない。
とにかくものすごいだるさと関節痛が続きましたが、もともと体調不良に免疫がある私は市販の解熱剤をフル活用しながら1ヶ月くらい過ごしていました。
(看護師の立場として言わせてもらうなら早く受診しろ)
なんなら当時絶賛彼氏募集中だったので、街コンに参加したり飲み歩いたり、、友達の結婚式に解熱剤を持っていくのを忘れて薬が切れて死にそうだった思い出もあります。
そんなこんなで1ヶ月を過ごしましたがついに限界がきました。
激しい悪寒とともに39℃台の発熱。
さすがにまずいと思い近医を受診。
とりあえずインフルエンザの検査をされ陰性。解熱剤と抗生物質が処方されました。
ここで初めて仕事を欠勤し、寮生活中だったため母親に連絡。
翌日も熱は下がらず動けず食べれずで心配した母親が迎えにきて実家へ。
たまたま仕事も休みだったので地元のクリニックを受診するも原因が分からず、1ヶ月以上微熱が続いたことを話すと総合病院の受診を勧められました。
そしてこの頃、熱にうなされながらも下半身に感じる違和感。
翌日には違和感ではなくはっきりとした陰部の痛みに変わり、排尿時の痛みを感じるようになりました。そして口の中には大きな口内炎。
(もともとしょっちゅう口内炎ができていた)
近くの総合病院の救急外来を受診し、血液検査を行うも、白血球と炎症反応(CRP)の上昇がみられるのみで原因は分からず。
弱冠22歳の私はその場で陰部の痛みについて言えず、また解熱剤と抗生剤を出され帰宅することに。
熱でふらふらで歩くのもままならず、陰部も痛くて弱り切っている私を心配し親は寮に帰らず家の近くで休むことを勧め、翌日出勤日に親が職場へ電話をかけました。(過保護)
が、電話に出た師長から本人に代わるよう指示があり、「動けるなら寮に戻りなさい」と。
(朦朧としていたのでなんと言われたかは覚えてない)
新人看護師がそれに抗えるわけもなく、翌日親の運転で帰寮。(笑)
自分の勤めている病院を受診することになりました。
当時不明熱の診断だったので、自分の配属されている血液内科の医師が診察にあたってくれました。
そこで初めて陰部に潰瘍ができて激痛であることを伝える。
そのまま婦人科にまわされ、婦人科の診察を受けた結果、、、
ついた診断は「性器ヘルペス」
バルトレックスと塗り薬が処方されました。
陰部には多数の潰瘍ができもはやぐちゃぐちゃの状態。
性器ヘルペスの初発は
38℃以上の高熱、広範囲の潰瘍、排尿困難、歩行困難等の症状
ですがこれを聞いて22歳、当時彼氏もおらず(交際経験はあった)男性経験なしの私のショックたるや。。
何度も「性器ヘルペス 処女なのに」と検索をかけていました。笑
これは婦人科の医師にも聞いたのですが、性感染症(STD)に分類される性器ヘルペスですが、性交渉以外での感染もありえますので性器ヘルペスができた=性感染症ではありません。
それでもそのイメージは強く、職場の師長にも呼びだされ、パートナーの治療をするようにと言われました。いないのに。
5日ほどで高熱は治まったものの、陰部の激しい痛みは続き、排尿があまりにも恐怖のため水を飲むのもこわくなっていました。
バルトレックス1週間分を飲み切っても潰瘍が良くなる様子はなく、ヘルペスを認めたくなかった私は職場近くのレディースクリニックを受診しましたが、そこでも診断は変わらず、追加のバルトレックスが処方されました。
いつまでもよくならない陰部潰瘍。そして身体のだるさ。
痛みとしんどさに耐えながら夜勤をやっていたのを今でも覚えています。
そして病名を疑い、検索魔となった私がいきついた病名がベーチェット病でした。
私が
私が難病と診断されるまで② - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ
につづく
自己紹介
はじめましてゆるい(@yujugem1222)といいます。
関東在住アラサー現役看護師、絶賛彼氏と同棲中。
気づけば同棲3年目に突入。
20代後半をむかえ、「神経ベーチェット病」という難病の診断を受ける。
現在難病診断を受けてからはじめての転職活動中!!
さて、難病患者を受け入れてくれる職場はみつかるのか!!
✳︎好きなこと
食べること
ゴロゴロすること
映画
Hulu大好き(最近はsupergirlにはまってる)
ディズニー
旅行
海
BBQ
星
焼肉
料理
✳︎嫌いなこと
大きな音
怒鳴る人
虫
暑さ
✳︎わたしのモットー
楽しく人のためになることをする!
人生腹十二分目まで楽しむ!
自分の体調で悩むことも多い人生。
同じような誰かのヒントになればいいなと。
そして少しでも多くの人たちに難病や障害を抱える人たちへの興味をもってもらえたらうれしいです。