ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ

27歳独身で難病と診断されました。そして退職。アラサー目前にこれからどう生きていくのか、、難病と診断されてからのあれこれや、もらえるお金のことなどをまとめていきたいと思います。

私が難病と診断されるまで②

 

こんにちは。

だいぶ暖かくなったおかげか口内炎もなく身体の調子がいいなーと思っていたらまた冷え込んでいますね。季節の変わり目や気候の変動は体調が崩れやすくなるので注意です。

また1週間がはじまりますね。早く花粉症おわらないかな。

お花見したいけどコロナが怖いのでウォークスルーお花見がいいですね。

 

 

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前回(私が難病と診断されるまで① - yujugem1222のブログ)

のつづきです。しばらく診断がつくまでのお話になります。

 

 

22歳絶賛彼氏募集中で性器ヘルペスの診断を受けた私ですがその後陰部の潰瘍は約1ヶ月半ほどで終息をむかえました。

しばらくは再発に怯えながら生活していましたが、熱やだるさもなくなりあのつらい痛みがあったことも忘れたころ、第二の試練がやってきました。

 

ヘルペス事件から数ヶ月後めでたく彼氏をゲットした私。

遠距離恋愛だったため、1ヶ月に1回彼と旅行に出かけるのをとても楽しみにしていました。

そんな看護師2年目の冬、2週間後のバレンタインデートを目前に、その日はやってきました。

 

朝起きると寝違えたような痛みで首が回らない。

整骨院でも行こうかなーとスマホで探しながら鏡をみると、首の右側が鶏卵大に腫れ上がっていました🐔

何事かと思い触れると強い痛み。

風邪をひいた様子はないし、リンパが腫れる原因も見当たらなかったのですが、とりあえずこれはまずいと思い、近くの内科を受診。

 

その時は熱もなくだるさもなくただ首の腫れと痛みのみ。

その時受診した内科で「壊死性リンパ節炎(菊池病)」の診断がつきました。

この病気は怖いのは名前だけで、命に関わるような病気ではありません。

若い女性に多く、歳を取るとともに症状がなくなることが多い)

 

 

が、のちにしばらくこの病気(のせいだと思っていた)に苦しめられることになるのでした。

 

 

そこの先生はとても丁寧に治療に当たってくれました。

最初は痛み止めと抗生物質プレドニン20mgが処方されました。

 

壊死性リンパ節炎には治療方法がなく、対症療法で自然治癒を待つしかありません。

ステロイドがリンパ節腫脹に有効だといわれています。

細菌性ではないので抗生物質は効果がないのですが、おそらく別の可能性も考慮して抗生物質が処方されたのだと思います。

 

2日後に再診し、効果がみられているようなので追加のプレドニンを処方され経過をみて減らしていく予定となっていました。

 

その時はリンパがぼっこり腫れている他は元気だったのでそのまま夜勤クールに突入する気まんまんだった私ですが、医師から「分かってると思うけど仕事休まなきゃだめだよ、身体休めないと治らないから、プレドニン飲んでる間は休んで」と一蹴されました。

 

今思うと優しい先生だったな。

 

 

夜勤当日に休みくださいなんて言えるわけない、、とびびりながら診断書を持っていく私に、当時の主任はあっさり休んでいいよーと言ってくれました。

(ちなみにこの時は前の師長から代わって新しい師長になっていた)

 

そこから1週間自宅療養をし、プレドニンが効いたのかリンパの腫れも痛みもかなり引き、予定どおり5mgまで残減することができました。

医師の許可がおり無事仕事にも復帰し、バレンタイン旅行も楽しんだ翌々日の朝。

 

 

あれ、寝違えた、、??(デジャヴ)

 

今度は左側のリンパがぽっこり腫れていました。前回ほどの大きさではありませんが見た目に腫れているのがわかるくらいには腫れています。

 

慌てて受診しプレドニン再開。かといってさらに仕事を休むわけにもいかず、今度は出勤し勤務先の医師(血液内科)にも相談。

こちらもリンパ節に関してはスペシャリストです。

壊死性リンパ節炎で間違いないと思うが、プレドニンは飲まなくてもいいと思うと言われ、プレドニンは飲まずそのまま仕事を続けることにしました。

この時、もともとかかっていた内科医の言う通りにしていればよかったものを、、。

 

 

プレドニンは飲まずに様子をみた翌日の夜中、激しい寒気で目が覚めました。

暖房をつけあらゆるものを羽織っても止まらない寒気。朝方、寒気が治まったころには39℃の発熱。

これはいかんと思い主任に連絡し、欠勤と受診の手配をしてもらい解熱剤が効いたところで勤務先を受診しました。

 

やっぱりプレドニンは飲んでおこう、と再開になり、自宅療養することになり帰宅。

 

解熱剤で一旦37℃台に解熱するものの数時間ですぐに寒気とともに発熱を繰り返していました。そしてその晩、激しい頭痛吐き気嘔吐に見舞われ、一晩で5、6回嘔吐。

1人では家を出るのも困難になっており朝方両親に連絡。

父親が車で寮まで来てくれました。勤務先の救急外来に連絡して再度受診。

 

嘔吐からの脱水もみられ、そのまま入院となりました。

入院後CTで頭部には異常なく、抗生剤の点滴とプレドニンの内服で経過観察。

 

 

嘔吐は落ちつきましたが夜になると激しい頭痛があり痛み止めも効かず。

主治医から腰椎穿刺(背中から腰椎に針を刺し脊髄液を採取する検査で髄膜炎等の鑑別に用いる)をやろうか〜という話が出たあたりで頭痛と発熱は改善し、自然軽快ということで5日で退院することができました。

 

病棟は違えど勤務先への入院、4人部屋で音は気になるし、職業柄アラーム音に敏感に反応してしまうし、先輩も後輩も上司も突撃してくるしで全然気が休まらず。

カルテで病状は筒抜けだし(個人情報とは)、もう二度と勤務先には入院しないと心に決めたのでした。

 

 

この時主治医が気になっていたのは白血球の数値。

通常炎症が起こると白血球の数値が上がるのですが、私の場合入院時の白血球が2000台で通常値すら下回っていました。

プレドニン内服の副作用で白血球が低下することもあるのですが、血液内科医としては血液疾患を疑っていた様子。

 

 

退院後も仕事をしながらほぼ毎日主治医のフォローを受けられるので、そのまま仕事へ復帰。

幸い1週間程度で復帰できたのでそこまで体力の衰えもなく、再び元の生活へ戻るのでした。

 

 

 

(私が難病と診断されるまで③ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ)

へつづく