私が難病と診断されるまで③
こんにちは。花粉が飛び交いすぎて鼻詰まりがひどい。
ステロイドで少しは治らないものなのでしょうか。。
今日も
(私が難病と診断されるまで② - yujugem1222のブログ)
の続きです。
さて、壊死性リンパ節炎で入院後、元の元気(だと思ってる)な生活に戻った私ですが、この頃から少しずつ体調に異変が起きてきます。
まず、とにかくよく熱をだす。
もともと年に数回かは風邪をひいて熱をだすことがあったのですが、その頻度がどんどん増えてきました。
シーズンに2、3回は胃腸炎のような嘔吐下痢になったり
インフルエンザの検査も何度もされました。(毎回陰性)
この頃は病弱だから気をつけてねーくらいの感じで周知されており、仕事も1、2ヶ月に1度欠勤する程度。
もともと活発で動き回るのが好きなので、休みの日には予定をぎちぎちに詰め込むタイプでした。
この辺りから体調管理と遊びとのバランスが難しくなってくる頃ですね。
夜勤明けで地元に帰り、友達と飲みに行きオールで遊んだあとそのままプールに行く、なんて無謀なスケジュールをこなしていた20台前半。
夏休みは5日間びっちり遊ぶ予定をいれていました。
今じゃ考えられない。。リア充め。。
遠距離の彼とはお別れし、新しい彼氏ができ、3年間働いた病院を辞めて転職することにしました。
これが一度目の転職です。
この転職は失敗におわり、すぐに二度目の転職活動をすることになりました。
(病院が合わなすぎてストレスで2ヶ月で不眠になり退職した)
そして新しい職場はクリニックになり、新しい看護師生活がはじまりました。
この時は実家からもわりと近い場所に一人暮らしをしていました。
新しい職場では常勤看護師が1人しかいなかったので、基本的に休めません。
夜勤がないので身体は楽かなーなんて思っていましたが、クリニックの看護師もなかなか忙しいのです。
もともとあまり体調に自信のない私は不安もありましたが、それでも楽しく仕事をしていました。
ところが、また奴はやってきいます。
1ヶ月以上続く微熱と倦怠感。
解熱鎮痛剤が切れるとしんどくて動けなくなるので、1日4回薬を飲む生活をしていました。
(市販薬でもずっと続くと肝臓や腎臓に負担がかかるのでおすすめしません)
寝る前に薬を飲んでも効果は6時間もたず、朝方4、5時頃に身体の痛みで目が覚める生活を送っていました。
それ以外は目立った症状もなく、受診したところで解熱剤と抗生物質くらいしか処方されないことがわかっていたので対症療法で過ごすほかありませんでした。
そして2ヶ月ほどたったところでまた激しい寒気に襲われ、発熱。
仕事を休めなかったのでとりあえず職場に行き、インフルエンザの検査をしてもらうことに。
この頃には感覚的にインフルじゃないとわかっているんですけどね。
医師(耳鼻科)に症状を伝え血液検査をするも、CRPの上昇のみでその他は異常なし。
首から肩にかけてのリンパがごりごりして痛いことに気付き、また壊死性リンパ節炎かもしれないと伝えると、医院のベッドでステロイドの点滴をさせてくれました。
3日ほど続けて点滴をしたところで症状は改善。
体の痛みもよくなり解熱剤から解放されました。
ステロイドってすごい 👏
この後も定期的に体のだるさや関節痛は続き、熱がなくても熱があるようなだるさが月に1回、1週間くらいは続くようになりました。
解熱剤が手放せない日々が続きましたが薬さえ飲んでいれば普通に生活できていたのでよほど高熱にならない限りはいつもどおりの生活を続けていました。
一応医療に従するものなので、これが普通の状態だとは思っていませんでしたが、受診したところで大した薬も出ずおわるので半ば諦めていました。
壊死性リンパ節炎も原因がわかっていない病気なので、自分は再発を繰り返すタイプで、歳をとって治るのを待つしかないんだなあと思っていました。
壊死性リンパ節炎はそんなに珍しい病気ではなく、耳鼻科で勤務していると似たような症状(リンパの腫れ、痛み、高熱)を定期的に繰り返す患者さんも多く目にしていました。
あまりにも倦怠感が続くため、症状を調べると全身性エリテマトーデス(SLE)に当てはまることがあったので一度内科で血液検査をしてもらったこともありましたが異常なしと言われました。
転職して1年が経った頃、彼氏と同棲を始めるために、職場から電車で1時間ほどの場所に引っ越すことになった私。
今まで15分ほどだった通勤時間が、1時間超えになり、さらにそのほとんどを通勤ラッシュでもみくちゃにされることになったのでした。当然実家からも離れる距離になります。
それでも当時の私は大好きな彼と一緒に住めることが嬉しくて、通勤くらいなんてことないと思ってしまったんですね。
後にこれが大きな失敗だったとは知らず。。
ちなみに余談ですが満員の通勤電車が与える心理的ストレスは戦場の兵士に値すると言われています。
毎朝戦場です、そりゃあ心も体も疲弊しますよね。
遅延などがあるとさらに地獄で、片道2時間以上かかってへとへとになって職場に到着することも少なくありませんでした。
そんな通勤をする頃には、院長の計らいで常勤看護師が増え、有給も取れるようになっていました。(やっとホワイトに、、)
しかし、体調が悪い中での満員電車に耐えきれず今までのように無理して出勤することができなくなり、電車に乗ったものの途中リタイアすることも増え、私の有給はほとんど病欠に消えていくのでした。
今日はここまで。
この後ついにベーチェットと診断がつくきっかけとなる試練が待ち受けています。
私が難病と診断されるまで④ - ゆるいのゆるく難病と生きていくためのあれこれ
につづく